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まなび:子どもの造形表現に関わるひとクラス

2021.01.25

「保育園の表現者たち」という展覧会があることを知ったのはもうかれこれ4,5年前だったか。
ちょうどえんげきあそびを始めた頃で、とても熱のこもった活動と、こどもたちの表情に惹かれて、ずっと注目していました。
今回、コロナのおかげで、何度か逃したワークショップをオンラインで受講できることになって、週末に参加させていただきました。
念願の。二日間。朝10時から17時まで。みっちり。心地よい栄養を脳みそになみなみ注入して、キラキラ光るヒントをたくさんいただいた。

えんげきあそびだけでなく、上演の時も、ワークショップの時も、私が何かを与えたり、教えたりするのではなく、
こどもたちから教えられたり、刺激してもらったり、導いてもらったりしているなぁと、いつも感じる。言葉通り、常に。いつも。
それはなぜなのか。今回、ワークショップの中で手を動かして、実際いくつか作品を作ってみて、その理由が少しわかった。
あたりまえすぎるけど、こどもたちには、「自分」しかないのだ。
これは誰それがやってた表現だな、この色合いはきれいじゃない、バランスが悪い、人からどう見られるか、どう評価されるか。
そんなこと考えてるこどもは、多分ほぼいない。彼らは本質的に、すべてから自由だ。
私だって普段はそんなばかばかしいことは気にしていない、頭の端にも出てこない、と思っていたのに、
実際手を動かしてみるともう邪念にまみれて全く自由になれないでいた。
そしてそれをワークショップの中では誰も「評価しない」のが、なおさらしみじみと、自分のイタさを痛感させてくれた。
みんな優しい。その優しさが逆に、効果的に、私にわからせてくれたなぁと、しみじみ思った。
自分とは違う世界に触れるって、おもしろい。
そして別の世界に触れることでさらに自分の世界も拡がっていく。
それをするためには、こどもたちとそうやって繋がって行くためには、私自身が「表現者」でなければ。
浅羽さんのアツい語りにまだ心揺さぶられている。余韻はしばらく続きそうです。

答えのない問いを、自分に、社会に問い続けること。
わかりやすいところに陥らずに、「理解なんてしきれない」という理解をもちつつ、謙虚に、向き合うこと。向き合い続けること。

貴重な金言が溢れ過ぎてて未だにクラクラします。

そして、会ったこともなく、バックグラウンドも全員違うのになぜか抱えている問いは近い仲間を得た気がして心から嬉しかったです。
いつか会いたいなぁ。

ぜひ多くの人に知っていただきたいのでリンクはっときます。

atelier le matin:アトリエ・ル・マタンFBページ
保育園の「表現者たち」展:保育園の「表現者たち」展FBページ

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